「天才を殺す凡人」北野唯我著について
しろくろぜろりばーす 中の人です。
又一つ歳を重ねる感覚を感じるこの頃、新たな挑戦のきっかけと成れる様、やって行きたいと思います。
今回は以前読んだ本、「天才を殺す凡人」北野唯我著 について紹介したいと思います。
前回の記事、手持ちのカードで戦え!!今出来る事は何?https://www.sirokuroz.work/entry/2019/11/07/220420
でもこの本について触れましたが、今回はこの本の感想を伝えたいと思います。
人の才能は3つに分けられている?
この本では、天才・秀才・凡人の3種類の才能に分かれていると例えています。
天才は
「独創的な考えや着眼点を持ち、人々が思いつかないプロセスで物事を進められる人」
秀才は
「論理的に物事を考え、システムや数字、秩序を大事にし堅実に物事を進められる人」
凡人は
「感情やその場の空気を敏感に読み、相手の反応を予想しながら動ける人」
この本ではこの3種類の才能の持ち主についてを物語形式で説明しています。
凡人が天才を殺す理由? 主語の違いとは?
天才、秀才、凡人が交わらない理由には主語のの違いがあると言います。
「共感性」主語を人メインで語る人。凡人に多い。
「再現性」主語を組織やルールなどの、善悪で語る人。秀才に多い。
「創造性」主語を世界や心理など、超越した何かで語る人。天才に多い。
この主語の違いがある故に衝突が起きると考えられます。
例えば、天才はふつうでは視えない超越した何かが視える者がいると言います。
それはとても凡人にはすぐに理解出来るものではないでしょう。
凡人は共感性、皆がどう思っているか?それに対し自分はどう感じているのか?
多数決の考えで動いています。
例えどんなに活気的な発見をしても、納得出来る形で再現出来ないならないのと一緒と同じと判断されるでしょう。
逆に再現性を主語にした秀才は過去のデータ等からどの程度現実的に再現出来るかを考え、説明出来るので天才と討論になった際はほぼ確実に有利とされています。
その場合多数決で判断する凡人は数字でものを語れる秀才の考えを支持し、天才を批難するでしょう。
故に数で勝る凡人は天才を殺すナイフとなるのです。
崩壊を防ぐ3つのアンバサダー
天才、秀才、凡人異なる才能があっても世界が崩壊しないのにはコミュニケーションの断罪を防ぐ3つのアンバサダーがいるからです。
エリートスーパーマン
天才と秀才の橋渡し。創造性と再現性があり一代で会社を作り上げる社長の様なタイプであり、研究熱心で進化をやめない挑戦者タイプでもある。
ただし共感性に乏しい所があり、外から見ると凄いが部下に付くと大変。
最強の実行者
秀才と凡人の橋渡し。再現性と共感性があり常に組織の中心に存在し、なんでも器用に熟し面倒見も良いリーダータイプ。
ただし新しいことをやらせると即存のルールの焼き直しになるので革新は生まれ難い。
病める天才
天才と凡人の橋渡し。創造性と共感性を持ちクリエイティブな発想を持つが、どのように人々に届くかを考えられ、直観的にそれを導くことも出来る。一発屋クリエイタータイプ。
ただし再現性に乏しく構造的に考え他に引き継ぐことが出来ない為、失敗し易い。
この3つのアンバサダーが3つの才能の橋渡しをすることで世の中がなりたっていると考えられています。
共感の神 天才を救う凡人の最強の武器とは?
天才が凡人に殺されるなら、どうすれば天才の才能が光るのか?
それは天才を殺すのが凡人なら輝かせるのもまた凡人の中に存在するそうです。
それが共感の神です。
凡人の中には余りに共感性が高く、だれが天才かを見極める力を持つ者がいるとの事。
天才の考えに理解を示し、共感し支える縁の下の力持ちで人の才能を信じる事を武器とした存在それが共感の神なのです。
本の感想
人には皆生まれながらに天才があると考えられています。
しかし、殆どの人達が現実を生きる中で様々な考えに影響され自分の中の天才を殺していきます。
協調性を求め、凡人寄りな考えになるか?
自身の力を高めながらも調和を重視する秀才となるか?
それとも、只ひたすらに己が信じる道に進み進化を求める天才で居続けるか?
人は複数の素質を持ちながらもそれを理解しきれないのが殆どであることをこの本であらためて感じることが出来ました。
決められたカードを活かし、それにあった武器を知る。自分にはまだ出来ない事だ。
それでも今出来る事で足掻いて行きたい。それが自分の今の課題だと考えます。
相変わらず訳の分からないことを言ってしまうのも自分です。
せめて感想位は伝えられるようになりたいものです(笑)
それでは今回はここまで!!
もし興味がありましたら「天才を殺す凡人」ぜひ読んで観てください。
それでは、ありがとうございました。