根性論は必要か?
フィギュアアーツのマグマナックル見つかって良かったわぁ~
安心してマックスハザードONしてもうたわぁ…
どうも、しろくろぜろりばーす 中の人です。
ブログを始めはした物の分からない事だらけの今日この頃。
本当はある程度知識を蓄えてからやるのが理想としていましたが、自分の性質上一行に前に進めないので取り合えず始めることにしました。
「当たって砕けろ」の精神。ただの根性論もいい所です。
自分は余り根性論は好きではありません。
ですが、自分自身を追い込む根性論は意外に好んで使います。(わりとガバガバだが)
自分に言い聞かせる #根性論 は嫌いではない
— シロクロZEROЯ (@omega753r) 2019年12月12日
おうちゃくな自分を知ってるからこそ自分を引き立てる為に多少の渇が必要だと思うからだ
だが人への押し付けの根性論は矢張気に入らない
その人を殺す気も生かす気もないのに言ってどうする
責めて相手を視てから判断位するべきだろう
出来ればの話しだが https://t.co/RDHLAx1j0p
矛盾してる。
そう思うでしょうが、それは根性論の押し付けが嫌いと言う意味です。
無責任な根性論
例えばいじめに苦しんでいる子がいたとして、その子は自分なりに現状を何とかしようと必死に頑張りました。
しかし、ついには限界を迎えすがる思いで大人に助けを求めました。
そんな時に「いじめられる奴がいけないんだ」「頑張りが足りないからだ」なんて言葉を掛けるのは酷い話だろう。
いじめられる本人のも原因はあるでしょう。だがこの場合その子は自分なりに頑張ってそれでもダメだから助けを求めたに他ならないのです。
頑張っている人に頑張れは「頑張って死んでくれ」と同義と思っています。
人は他人の気持ち何てそう分かるものではないでしょうが、知ろうとする事位はできると考えます。
根性論による𠮟咤激励
根性論なんてものがある位なのでプラスな面もあると思います。
それが自分に対して行う根性論です。
自分の場合はある程度、追い込みを入れないと直ぐに面倒くさくなりやすいので自身にペナルティ何かを与えることがあります。(ブログもわりとサボりぎみだったし…)
「もう少し出来ただろう」「まだ頑張れる筈」自分にそう言い聞かせる感じです。
時にはプレッシャーを感じ失敗への恐怖を抱くかも知れません。
しかし、その恐怖心こそが自身の成長の糧になるのでは?と考えます。
自分にはネガティブに!
とは言え本当に苦しくて耐えられない時は逃げるべきでしょう。
やれる所までやってダメなら自分に優しくしてもいいはずです。
もし他者に対して根性論を言いたい時はその人が後一歩で何かを掴める時、なのではと思います。
マラソンなんかをする時、途中でくじけそうになることがあると思います。
そんな時に「諦めるな!もう少しだ!頑張れ!」と言われると勇気が出ることがある様です。(残念ながら自分には理解できません…)
時に人は厳しく𠮟咤激励されることでなにかが変わる。
そんなケースはいつの時代もある様です。
熱血でお馴染みの松岡修造も実は根性論は好きではないと言う話もあるそうです。
実際はテレビで取り上げられてるほどの熱血まっしぐらなだけではなく相手に合わせ、その時必要な言葉で語りかけているそうです。
明らかにメンタル的にふさわしくない状態の相手にも同じようにやっている訳ではないとの事、松岡氏は根拠のない精神論を嫌い日々勉強しているそうです。
どうでもいい話しだが、#松岡修造 が熱いキャラなのに嫌味たらしく感じないのかが分かった気がする… pic.twitter.com/mYzQ1hW8Vh
— シロクロZEROЯ (@omega753r) 2019年12月12日
𠮟咤激励をするには相手をよく知り、どんな影響を与えるかを考える必要がある見たいです。
後は覚悟とでも言った所かも知れません。
根性論と言う言葉は適切かどうかはわからないが今回はそう仮定して話させて頂きました。
根性論は人を都合よく動かす道具ではなく、自分や他の挑戦者たちへのエールで合って欲しいと願うばかりです。
今回はここまで!
観て下さった皆様、観てはいない皆様も…
ありがとうございました。